わさび(山葵)
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最終更新日  2011.1.3


はじめに
出荷前のワサビの根
根山葵
「わさび」と聞いてまず思い浮かぶのは、マグロなどの刺し身に付けて 食べる”わさびの根をすりおろしたもの”である。ただし居酒屋などの飲食 店で、わさびがすりおろす前の根の形で出てくることはほとんどない。しか も多くはわさびダイコンが主原料である粉わさびを使っている。また、わさび と同じような使い方をするショウガは八百屋やスーパーで売っているのに、 わさびが店頭に並べられているのを目にすることはまずない。だからわさび の根を実際に見たことのある人はほとんどいないのではないだろうか。
有東木に生まれ人は子供の頃からわさびを見てきた。わさびは食べる前に自 分ですりおろすのが普通であった。
かつてわさびは高級品で高価であった。しかしバブル崩壊とともに暴落した。 このことを知る人は少ないようである。この先価格がどうなるのか私にはわ からない。ショウガと同じように一般家庭でわさびをすりおろす光景がみら れるようになるのか、また価格が戻って高級品になるのか...。
いずれにしても「わさび」という言葉を知らない人はいないのに、その加工 前の姿、どんな所で、どのように栽培されているのか、すりおろした根とわさび 漬け以外に食べ方はあるのかなど、実態を知る人は少ないと思われる。
このホームページでわさびのことを少しでも知っていただければ幸いである。

捨てるところがないわさび
刺身にわさび、寿司にわさびを利用することはよく知られているが、わさび の葉、茎、花茎、根も料理に利用されていることはあまり知られていない。 このいずれの部分にも辛味成分であるアリルからし油を主体とする 揮発性からし油類が含まれていることも意外に知られていないようである。
したっがてわさびはどの部分でもわさび独特の風味を楽しめるのである。 つまり捨てるところがないわけである。
引用:わさび−栽培から加工・売り方まで(農文協)

根(根茎) 刺身、寿司、ソバ、ソーメンの薬味
わさび漬け、わさび味噌
茎(葉柄) わさび漬け、三杯酢漬け、醤油漬け
おひたし、盛りつけの飾り
花(花茎) 昆布和え(有東木では葵漬けという)、てんぷら
ひげ根 練りわさび

調整前のわさび 切茎(きりぐき)
わさび漬け
本茎(ほんぐき)
わさび漬け
若い茎・葉
葵漬け
ひげ根

わさびの効能
わさびやま(下から/上から)  '03.9.15
わさびやま
わさびは食品分類では、第17類の調味料および香辛料に属し、食味をよく させるとともに生臭さを消し、味覚と臭覚を刺激して食欲を増進 させる。同時に、防腐と殺菌の効果もあり、とくに塩や酢との併用でわ さびの防腐効果は倍になる。酢めし、醤油、わさびを組み合わせた寿司はこの代 表である。また、食後、体内での異常発酵を抑えて食欲をも高める。
一般にわさびなどの香辛料を食べると口の中では唾液腺を刺激して唾液の分泌を 高める、胃などの消化器の中に入ると、消化器壁を刺激して中枢神経を目覚めさ せ血の循環を盛んにさせるとともに消化液の分泌をよくしながら、消化器の運動 をも盛んにする。この結果、食物の消化吸収が促進されるわけである。当然食欲 の増進効果もある。
また、わさびはビタミンCの含有量が高いが、一般にビタミンCを摂取すると、 風邪などのウイルス性の病気の防除や発ガン性物質の一つといわれているニトロ ソアミンの生成を防いでガンの発生を少なくするといわれているので、ワサビの ほどよい摂取は有効であろう。
さらにビタミンCは還元作用があるので皮膚を黒くするメラニンという色素成分 の生成を抑えて皮膚を白くすべすべに保つうえにシミ、ソバカスをなくす効果が あり、わさびのようにビタミンCの含有量の多いものを食べることで、美容の効 果も発揮される。また、神経の鎮静作用もあるといわれる。
引用:わさび−栽培から加工・売り方まで(農文協)

葵漬け(あおいづけ)の作り方
わさびの花茎 100g/束
花茎
山葵を使った料理の中で私が最も好きなものが「葵漬け」である。 これが山葵本来の食べ方ではないかと思うほどである。山葵は、根は もちろんであるが、茎も、ひげ根までも利用される。春先(3月から 4月頃)に採れる花茎もしかり。この花茎が葵漬けの材料になる。ま だ私が子供の頃はこの料理はなかったから、比較的最近考えられたも ののようである。あまり手を加えないから、まさに山葵を食べている 気がする。しかも春先の限られた時期しか食べることができない旬の ものである。寒い冬を耐えて後に出てくる、艶のある黄緑色のみるい 新芽でなくては、ほんとうの美味しさは味わえない。是非多くの人に ご賞味いただきたいと思う。

材料
1 2 3
山葵の花茎 500g
(写真は花茎の代用になる、若い茎です。)
「塩昆布」とか「お茶漬け昆布」の名で市販されている昆 布を細く刻んで味付けしたもの 1袋(45gくらい) 塩少々
花茎 塩昆布

作り方
1 3〜4cmに刻んだ花茎をボールに入れ、塩少々をふりかけ絡め、 花茎がしんなりするまで30分くらい待つ。 塩と絡める
2 鍋に70℃の湯を用意し、この湯に花茎を入れすぐ上げる。湯に入れる 時間は5秒程度。(花茎に湯をかけてもよい)湯の温度は温度計で正確 に計る。温度と時間が美味しさの決め手である。 温度を計る 湯を通す
3 花茎をザルで冷ましたら、昆布を入れ混ぜる。
(この時、彩りに人参の千切りを加えてもよい)
ザルで冷ます 昆布を入れる
4 密封容器に入れ冷蔵庫で1日くらい経った頃が食べごろである。
一晩くらい置いた方が辛み、風味が良くなる。
密閉容器に入れる 食卓へ

わさび漬けの作り方
わさびの最も知られた食べ方がわさび漬けである。ここに静岡市のY.Tさんから いただいた『私流のわさび漬けレシピ』を紹介いたします。
自己流とご謙遜、良い酒粕がなかなか手にはいりにくいとのことです。('04.6.5)

材料
1.ワサビの茎250g 
2.ワサビの根50g 
3.酒粕125g
(吟醸のなめらかで柔らかいもの)
4.砂糖30g 
5.2.5g(茎に振っておくのは別で適量)
作り方
1.ワサビの茎を水洗いした後5ミリくらいの長さに切る わさび漬け
わさび漬け
2.ワサビの根の部分も細かく刻み茎と混ぜる
3.ボールにいれ軽く塩をふり30分から1時間置く
4.酒粕と砂糖、塩をよく混ぜ合わせておく
5.ボールの中のワサビの茎をふきんでよく絞る
(ふきんのかわりに三角コーナーに入れるネットを使うと後始末が楽)
6.絞ったワサビと酒粕をよく混ぜ合わせる
7.ラップに包み冷蔵庫で1晩たった頃から食べられます

わさびと里芋
わさびの花/花  '06.3.18
わさびの花
もう一つあまり知られていない山葵の使い方を紹介する。ワサビ醤油と里 芋である。妙な取り合わせと思われるだろうが、里芋を山葵醤油で食べる とこれが実に旨い。是非試していただきたいと思う。
大きめの茹でた里芋をオーブンなどでこんがり焼く。里芋の周囲の皮に少 し焦げ目が付くくらいがいい。中がホコホコしているのがいい。水分が多 くてグニャっとしていてはだめ。
この湯気の立つ熱い里芋に、ドロッとするくらいたっぷりのすりおろした わさびを入れたわさび醤油を付けて食べるのである。言葉でその美味しさ を表現するのが難しい。だから是非試していただきたい。

わさびのおろし方
おろし方
わさびをおろす時、細く尖った先端部分からおろしてしまう。初めて の人ならそれが普通であろう。しかしワサビ通はそれをしてはいけない。
わさびもほかの植物と同じように根茎の先端のほうが細胞が古く、元のほ うが若く新鮮である。いいかえれば元のほうが柔らかく、香りはよく、粘 りも強く緑色もきれいである。先端のほうは固く黒っぽく、すりおろして もザラザラしていて粘り気も少ない。
このような理由から根茎をすりおろして使う場合、一般的な使い方として は元の部分からすりおろしたほうがよいのである。
根茎についている茎を外側から1本ずつ取り除き、根茎中でもっとも新鮮 で風味のある元の部分を包丁で切り落とすことなどせず、小さいブラシな どで根元の泥を落とし、水洗い後細かい卸し板でゆっくり練るようにおろ す。ワサビの辛味をさらに増したい場合には、卸し板に砂糖を少し加えて おいてからおろすとよい。
用いる卸し板はサメ皮の細かくてザラザラしたものが粘り気とツーンとく る辛味を生み出すので一番である。銅にスズのメッキをした卸し板やステ ンレス製あるいは陶製のものもある。銅やステンレス製を使う場合、わさ びは金気を嫌うのでおろしたら、なるべく早く陶磁器に移し香りを長くも たせるよう心がけたい。
引用:わさび−栽培から加工・売り方まで(農文協)

根の保存法
根茎をそのまま保存するには水にぬらした新聞紙などに包んでラップ して冷蔵庫に入れるか、コップなどに水を7分目ほど入れ、その中に根茎 を入れて冷蔵庫に保存しておく。このコップに水を入れての保存はコップ の水を毎日取り替えることを原則とする。このような方法でだいたい、一 ヵ月から一ヵ月半の間は利用が可能である。
引用:わさび−栽培から加工・売り方まで(農文協)

お餅の保存にわさび
雪とわさび
雪とわさび
お正月のお餅を黴ないように保存するのにもワサビがとても有効なんですよ。 もっともこの時のわさびは、安い粉ワサビを水で溶いたものですが。
私のオリジナルではありませんが、15年位前から毎年この方法で保存しています。 箱(できたら密閉容器)にお餅を縦に並べ、その真中にわさびを入れた器を置き ます.粉ワサビを熱い湯で溶いてよくかきまぜて、鼻にツーンとくるようにしま す。杯などに作ると大きさ的にちょうどいいです。容器の蓋をあけた時に香りが なくなってきたら、作りなおします。普通の箱で、2〜3週間、タッパーなどで、 一と月以上大丈夫です。(静岡市 ASさん より)

わさびの機能性
●静岡特産のわさびの学名は「ワサビアジャポニカ」。日本独特のアブラナ科 の植物です。チューブ入りわさびや粉わさびの原料となる「わさびダイコン」とは、 全く異なります。
●わさびは、すらずに、そのままなめても、何の辛味もありません。きめ細かくす り下すことでわさびの細胞組織が壊れて、辛味成分であるからし油ができます。
●この辛味は、香辛料としてだけでなく、さまざまな機能性を持っています。
本わさびに含まれる、からし油の一種の「アリルからし油」は、寄生虫の活力を弱 める作用や、抗菌・抗カビ作用を発揮することが知られています。
●さらに、最近では、血栓(血管が詰まること)を予防する作用や、食欲増進作用、 ガン細胞の増殖を抑える作用などさまざまな機能が報告され、研究が進められてい ます。特に血栓を予防する作用は、わさびダイコンや粉わさびには含まれない本 わさび特有の成分によるものです。いいことづくめのわさび。さしみや寿司、 ソバばかりでなく、お肉やウナギとも相性ピッタリです。今日の料理にちょっと添 えてみませんか。
県民だより 平成12年8月27日発行 No510 ものしりメモ より

わさび栽培発祥の地
わさび栽培発祥の地記念碑
記念碑
記念碑建立について
山葵栽培は今からさかのぼること、約四百年前の昔、慶長年間 に有東木沢の源流である「山葵山」に自生していたものをある 時村人が採集して村内の井戸頭という湧水地に栽培したところ 、これが適地であり成長繁殖した。そこで村人達がこぞって栽 培を試み、やがて栽培法は各地に広められたので、ここ有東木 を山葵栽培発祥の地と言う。
慶長12年7月(1607)駿府城に入城した大御所徳川家康 公に山葵を献上したところその珍味の程に天下の逸品と嘉賞し、 ついに有東木から門外不出の御法度品とした。また徳川家の家 紋が葵の紋であったことから、ことさら珍重したと言われてい る。
延享元年(1744)三島の代官斉藤喜六郎の命を受けた伊豆 天城の住人板垣勘四郎が椎茸栽培の師としてこの地に派遣され た。任務を終えた板垣は帰国に際し、庄屋が弁当籠に忍ばせた 山葵の苗を密かに持ち帰り栽培したのが伊豆の山葵栽培の始ま りと言われており、山葵関係者の語り草となっている。
明治10年、有東木山葵の先覚者、望月重太郎の東京での内国 博覧会入賞は安倍での山葵栽培を広める契機となり、更に昭和 23年頃から普及した畳石式田床改良及び栽培技術の開発によ り質量ともに向上し、安倍山葵の名声は益々高まった。
今日に至るまでには、元禄16年(1703)及び享保5年(1 720)の大洪水をはじめ幾多の台風災害等自然災害の暴威に さらされた。しかし、その都度全力を傾注し山葵栽培の伝統を 守るべく、復旧に尽力した住民や石工達の労苦を忘れることは できない。
時は流れ、ここに改めて先人達の遺徳を忍び、特産品「山葵」 に対する感謝の念を後世に伝えるべく平成の改元を期してこの 記念碑を建立するものである。
平成四年三月八日 山葵栽培発祥之碑 建設委員会

四つの史実  (2011.1.3)
わさび栽培史に残る四つの主な出来事
  1. 1600年ころ
    白鳥亀衛門(しらとりかめえもん)が有東木沢の源流である通称「わさび山」に 自生していたわさび苗を有東木の「井戸頭(いどがしら)」湧水地で栽培したところ成長繁殖、 これがわさび栽培のはじまりとなる。
  2. 1607年7月
    駿府城に大御所として入城した徳川家康に対して、有東木(うとうぎ)の庄屋が家康 の家来を通じてわさびを献上、これを食した家康は、その珍味と葉が徳川家の葵の家紋にそっくりなため、 有東木地区からの門外不出の御法度品とし、珍重した。
  3. 1745年5月
    伊豆山守の板垣勘四郎主従が庄屋宅に宿泊・半年にわたる椎茸栽培法の有東木地区 住民への伝授の後、帰国に際し庄屋が弁当箱に忍ばせたわさびの苗を持ち帰り、伊豆地区でのわさび栽培 のはじまりとなる。
    1750年5月:わさび訴訟裁判で大岡忠光が「おかまいなし」の裁定をくだす。
  4. 1877年11月
    有東木地区庄屋の望月重太郎(じゅうたろう)が出品したわさびが内国勧業博覧会に おいて入賞、わさび栽培拡張の契機となる。
特に(3)については、昭和39年発行の野木治朗著「天城の山の物語・わさび沢編」の「おかまいなし」 裁定部分に掲載されております。

野木治朗著「天城の山の物語・わさび沢編」の「おかまいなし」裁定部分  (2011.1.3)
延享2年(1745年)5月の中旬、青葉若葉に初夏の陽が登る。青空高く舞いひるがえる鯉幟(こいのぼり)が、 緑の風を腹いっぱいふくらませる。後ろに地蔵の峠をひかえ、前に中平山を見て、青々と空が晴れ、山霧が 消えていくこの朝、板垣勘四郎と天城の与市主従が、安倍の有東木を出発して、故郷の天城山麓湯ヶ島の里 に帰っていく。
名主、組頭、其他の村役、家族をはじめ家の子郎党、小者まで膝を揃えての見送りである。歓送の準備が なり、庭先で送り火を焚くと、鶏が火の立ち上がりに刻を告げ、馬もつられていなないた。
木蘭の花が咲き、桃が開いて風に舞う。木々が芽吹いて香り漂い、山雀小雀が鳴き渡る五月晴れである。 母屋の中の談笑が恩讐(おんしゅう)を越えた男の語り合となって、見送る人々の心をそそる 。客室の上座 に勘四郎と与市の両名が並び、一同楽しく朝立ちの膳をたいらげた。勘四郎の顔は明るく、与市の額の傷 (数日前にわさび苗をわさび田から秘かに盗もうとして村人に見つかり抵抗した際できたもの)は、僅かに 傷跡を残すのみであった。
庄屋の望月庄兵衛が代表して「御両名様には、半年の長きに渉り駿河椎茸の栽培に誠心込めての御指導を賜り、 有東木村六十五戸を総代して厚く御礼を申し上げます。 この村は、慶長年間に武田の残党が集まって同九年 (1604年)に村開きをしてより此方、わさび栽培一筋に村を築いて参りましたが、今後は椎茸(しいたけ)の 収穫により一層に富み栄えるものと思います。この日を記念にしまして社を祭り、村人の励みといたしまして、 御両名様の御志に報いんものと思います。」と告げ、言葉を切った庄兵衛は、傍らの二ふりの刀を手にとって改 め、 懐紙(ふところがみ)で拭って鞘に収め、勘四郎の前に差出した。
「この刀は、当家に代々伝わりました御先祖望月六郎左衛門の守り刀でございます。また此れなる 刀は宮原宋次郎宅 に伝わりましたもの。一振りは板垣様、こちらは与市殿に、共に道中守護差としてお納め願います。」
両名の前に引出された業物は、金銀べっ甲をちりばめた名の有る刀である。勘四郎と与市は共に押し戴いて恐縮した。
「これにて旅立ちの万端は整った。いざ、茅野(かやの)(庄兵衛の末娘)、用意の物をこれに持て。」
庄兵衛の声にはっと立ち上がった茅野が、水屋のあたりからうるしの膳に乗せた、麻布包を二包持ち来たって、 うやうやしく勘四郎と与市の前に置く。言葉使いを改め、膝を正した庄兵衛が、「御両人殿、只今よりこの地を出発いたし、 犬岩、ゆう岩を下に見て坂を下れば見返り岩が道のほとりに腰をすえ、銭苔岩松を岩一面に着けております。川の流れ が急になりドンと下って水が逢う、渡本(どもと)に出ればすでに安倍川。柳が緑の色を増し、川原の小石が銀となる 吊橋(つりばし)を渡った処で村をはずれる去年の秋の安倍川は、川原一面秋の花、今はタンポポ、スミレの頃、見事 に開く藤の花、川瀬に垂れて咲く辺りに、汲(く)めども果てぬ清水が湧いております。湧き清水をば汲みとって、喉を 潤し昼食とされよ。お手元にある麻包みは、我が家一同、心を込めて炊き込みました弁当なり。 あいや何さ、何の馳走 (ちそう)か解らぬけれど、 天城の衆の飯となれば・・・アハハハハハ・・・くれぐれも村を外れて使われよ。しかと 心得られよ。 皆の者っ、御両名様の出発だ。勢揃いしてお見送りもうせ。」
「おう」と揚がる一同の声に、鶏が盛って刻を告げる。あの顔、この顔も見納めかと、互いに目と目を交わす中に、切なく むせる茅野の顔が、目にいっぱい涙をため、こらえがたく、涙が幾筋も頬に伝わり、とめどもなく流れていた。
はしたないかと気にしながらも、ひたむきな女心の一筋に、昨日の夕、宵月の光も淡い丘に与市を 誘い、男の本心を ただした口説に、 意外や与市の言葉は冷たかった。
「茅野さん、俺あ嬉しい、あんたの志は有難いが・・・だが、駄目だ。天城の与市には、やらねばならん仕事がある。 茅野さん、俺あ、盗人をしてまでもと、思い詰めたわさび沢作りの仕事だ。たとえ一沢だけでもわさびが茂らなかったなら、 女も不要、女房もいらぬ。男の生涯命を果たす覚悟を決めました。何日できるとは限らぬ天城のわさび、何年かかるか解らぬ わさびその日まで待てと言われぬ私の立場、いっそ綺麗さっぱり諦めてください。」
と言うが否や、与市は茅野に背を向けて、弾丸のように、うす闇の中をつっ走て行ってしまったのである。
涙が流れる目の前を与市が歩く。天城に帰る与市の姿がとめどもなく流れて茅野の頬をつたう露の玉に映った。 つらい切ない女心に一声鶯が鳴く。人の心を読むように、一声・一声と静かに鳴く有東木(うとうぎ)の山鶯(やまうぐいす)に、 山にこだまが棚引(たなび)いていった。
  
川の流れに添って下る両人の菅笠(すげがさ)姿が遠ざかり、かすむ与市の背に、みかんの苗木(庄屋から送られたもの)が 揺れている。見返り岩を右に見て、大きくSの字に曲って下り、有東木川の瀬水口の渡本を過ぎ中平山を仰ぎつつ、真富士(まふじ) 山の麓を踏み、吊橋を渡って村境を過ぎた。
  
「勘四郎様、安倍川はきれいな川ですね。名主様のお言葉のように、銀を敷詰めたような川原石、 もう親村の大河内を出 はずれました。」
「そうだ、辺りの山の風光に心を奪われ、いつ中平(なかひら)を過ぎたやら、あれ、あそこに湧く清水が川の 中に注いでいる。 なるほど見事な藤の花だのう・・・ はて、今朝方、名主様のお言葉に、喉潤して昼食の弁当!天城の衆の飯となれば・・・そのお言葉 の意味は!そうだ若しや、くれぐれも村境を越してと言った謎言葉は、ううむ。ここは有東木の村ではない。与市、背中の弁当を開いて みよ。」
包を解く手ももどかしげに麻の包を開いて、一つづつ手にした竹編籠。息を止め、二人が同時に蓋を取った。
中身を見た。与市は大きく目を開き、勘四郎は胸いっぱいに息を吸った。それもそのはず、籠いっぱいぎっしりと隙 間なく詰め込んであるわさびの苗が、やっと息づいたというように、山河の香りをふくいくと漂わせていた。
二人は、今来た有東木村を遥かにのぞみ、肩を並べて座った。両膝を地につき、手の籠を置いて吐息(といき)を漏 らし、どちらともなく合掌した。顎紐(あごひも)を解き菅笠を脱いだ。川原の小石の上に笠を置き二人は頭を低く垂れい つまでも平伏していた。 余りのうれしさに二人の男は、感謝と感激とで胸が震え、口から出る言葉もなかった。
我にかえった与市が苗入り籠を抱きしめ「わっ、わっ、わさびの苗だ、わさびの苗だ、わさびの苗だ。」
まるで狂人のように叫んだ。
勘四郎は誓った。
 
「村を外れてからと言われ、念押しされた謎のお言葉、天城の飯となればとさりげなく言った添え言葉に含まれていた意味。 あっうれしい名主様・・・板垣勘四郎、 これから全生涯をかけて天城の山にわさびを育て、伊豆半島の山村が栄える道を拓きます。 岩をかみ、石にかじりついてでも必ず一念を貫いてお志に報い申します。」
「さあ与市、籠を納めて出発だ。」
ホトトギスが一声後青葉の中から飛び立ち、空に一線を描いて安倍の川原を渡る。勇み立った二人が川を下って行く道に タンポポスミレの花が咲き、五色の椿の花燃える昼下がりであった。
 
寛延三年(1750年)五月十日、駿府町奉行所の白洲(しらす)に名主望月庄兵衛(66歳)、 板垣勘四郎(64歳)、与市(29歳)、 茅野(庄兵衛の末娘21歳)、 駿河屋伝兵衛(当時訴訟事案の関係者を宿泊させた宿の経営者) 一同が平伏(へいふく)している。
       
※物語では1750年2月ころ、与市と茅野は勘四郎立会のもと、仮祝言をあげ、その後茅野は 湯ヶ島に与市と一緒に住み3人の子宝に恵 まれたとなっている。現在の湯ヶ島地区に「与市坂」「茅野平」という地名があることから2人は実在の人物の可能性が高い。なお、 板垣勘四郎は実在の人物で、板垣家では勘四郎の椎茸、炭焼き、わさび等の功労で地区から、89年間にわたり年金を送られた。
 
やがて、警ひつの声で一同一斉に頭を下げる。
「駿州・安倍郡・有東木村名主・庄兵衛、豆州・湯ヶ島宿・板垣勘四郎、並びに、証人として豆州・湯ヶ島宿・与市、同庄兵衛の 娘茅野、証人付添いとして駿河屋伝兵衛、面を上げい。」との声に一同、頭を上げると、
今まで空席だった上座に威厳を正した中年の武士が座っていた。明るい白洲から見上げる座敷の中は 薄暗く見えて容貌はしかとは見えなかったが、どっしりと落ち着きを見せた肉付き豊かな人物である。その武士が静かな眼差し(まなざし) で白洲を見下して口を開いた。
「将軍家おそば役・大岡忠光(大岡越前の一族で実在の人物、将軍は何を言っているか聞き取れないほど病弱な人物であったため 側近として仕え、将軍の言葉を理解できた大岡忠光の指示が天下に対する命令となった。 老中よりも力があった人物と言われ、 この裁判の裁定のため将軍の指示 で駿府に来たもの)、 只今より上意を以て取り調べを行う。 皆の者、神妙にいたすよう。」
「ははっ」と一同再び頭を下げる。
「苦しうない、一同、面を上げよ。」
忠光は、勘四郎らに向かってそう言うと、居並ぶ人々に向かって
 
「この度の事は、畏れ(おそれ)多くも東照公様の御名にかかわる大事ゆえ特に将軍家におかせられても遺漏なきよう十分に吟味 致せとの御指示であった。 よって、忠光、故事典礼に拘わる(かかわる)ことなく存分に吟味致す。左様心得るよう。」
と言い置いて、再び白洲に視線を向けた。
「勘四郎、並びに庄兵衛、その方らの口書はすでに当奉行所に於いて見聞きいたしたが、少々心得ざる所あり。よって忠光、 直々に吟味致す。特に直答さし許すによって包み隠すことなく申し立てるよう。まず板垣勘四郎、その方、山守の職にありながら 何故に掟をないがしろに致し、御禁制のわさび苗を有東木村より持ち出したか。さだめし所存あっての事であろう。その所存を申 してみよ。」
忠光の言葉に対して、勘四郎はやおら上体を起こした。端然と背筋を伸ばし、両手を膝に置いて忠光を見上げる彼の眼に決心の光が宿る。
「恐れながら申し上げます。私の故郷・湯ヶ島の百姓は、毎年のように水害に苦しんでおります。何分にも山深き所、田畑も少なく、米、 麦の収穫も乏しう御座りますゆえ、一度、災害にあって作米を失えば飢え死ぬより御座りませぬ。私もこの有様に心を痛め、炭、椎茸と 心を砕き(勘四郎は当時の炭焼技法を改善し2倍の炭が採れる工法や椎茸栽培の技法を開発した先駆者でもあった。)、百姓衆の暮らし 向きを豊かに致そうと努めてまいりましたが、今だに水害に遭って路頭に 迷う人物が跡を絶ちませぬ。 たまたま、三島代官の斎藤様のお言付けにて有東木村に参りましたところ、初めてわさびを目に致しました。聞けば大層お金になるとの こと。これを伊豆の地に移し植え、天城のお山にわさびが育つようになれば、村は富み栄え、治山治水の道も開けようと心得まして伊豆 にわさび苗を持ち帰りましたる次第で御座います。  もとより、御禁制の品とは心得ておりましたが、これにより、伊豆の民百姓が栄え、水の災いよりまぬがれますれば、末は天下のため、 ひいては公方様の御ためと心得、敢えて御禁制を破りましたるもので御座ります。  一点も私心は御座りませなんだが、掟(おきて)は掟、承知で破りましたる上は如何なる罪に問われようとも覚悟はできております。  ただ、この度のこと、ひとえにその責めはこの勘四郎に御座ります故、何卒、庄兵衛殿をお許しくださるとともに、お上の御慈悲をも ちまして今後、伊豆天城にてわさびの栽培お構いなし、との仰言をたまわりとう存じます。 そのお許しさえいただけますればこの勘四郎、東照公様の掟破りの大罪人として死罪、獄門はおろか、逆さはりつけ、鋸引きもいといま せぬ。 何卒、この勘四郎の胸中御賢察くだされてこの段、お聞き届けくだされたく、伏して願い上げ奉る次第で御座りまする。」
一言一言語るに従って熱を帯びた勘四郎の言葉は、五臓六腑からほとばしり出る男の誠心に触れ、並み居る人々も思わず胸を衝かれ、 忠光も眼を伏せて聞き入った。
その時、俯いていた与市がばっと身を起こした。
「大岡様に申し上げます。」
思いがけぬ大音声に警護の役人が慌てて「ひかえよ!場所柄をわきまえぬか!」と叱咤するものの与市は聞かず、声張り上げて叫ぶ。
「大岡様、勘四郎様の仰言ることは違います。もとはと言えば、 この与市がわさび沢に入り込み、 御禁制を承知でわさびを盗み出した のが事の起こり・・・。」
と、言いかけるのを制した有東木の庄兵衛が、
「いや、それもまた違います。大岡様、板垣殿にも与市にも罪はありませぬ。私はお二人にわさびを村外不出とは申しましたが、 東照公様のお声がかりとは申しませなんだ。東照公様の掟と知りつつ破ったと申される板垣殿のお言葉は、この庄兵衛に罪を着せまい との心遣い(こころづかい)。まこと、掟破りの張本人はこの私で御座います。何卒、この庄兵衛の白髪首をお打ち下さって伊豆の衆を お許しくだされ。」
「いいえ、違います。」父の言葉に顔色を変えた茅野が叫んだ。
「父は何も知りません。私が一存で弁当の包にわさびを・・・。」
「何を言う茅野、気でも狂ったか。すべては私のやった事、おそろしいお咎めを受ける掟破り。何で女子供に手伝わせるはずあろうか。 大岡様、娘は取り乱しておりまする。何卒(なにとぞ)、お聞き流しくださいませ。この庄兵衛こそ、真の罪人に御座りまする。」
騒然とした白洲を見下して大岡忠光は鋭く一喝した。
「ひかえよ!そのように口ぐちに申し立てては吟味がならぬ。」
はっ、と平伏する一同を尻目に、忠光は駿府町奉行所の役人に向き直った。
「誰かある。証拠の品をこれえ。」
「はっ」 と答えて、吟味与力がわさびを載せた二つの三宝を忠光の前に運んで来た。忠光は三宝のわさびを一つづつ手に取り、 仔細(しさい)に眺めながら「これなる品が有東木村より取り寄せたもの。また、これなるは板垣勘四郎の育てしものであるな。」 「御意(ぎょい)に御座ります。」吟味与力が四角張って頭を下げる。
「この二つのわさび、いささか違うようであるが・・・。」
「恐れながら申し上げます。そのいずれも正真証明のわさびにて、いささかも違いは・・。」
恐る恐る言上する与力の頭上に忠光の一喝(いっかつ)が落ちてきた。
「ひかえよ!その方、明きめくらか。これ、このように有東木のものは二握を超え、伊豆のものは一握半に足らぬではないか。」
「恐れながら。」と勘四郎が白洲から口を入れた。
「それは、私の栽培の腕前未熟にて育ちが足りませぬゆえで御座ります。もとはまさしく有東木より・・・。」
「ひかえよ!勘四郎、吟味に差出口は許さぬ。」
忠光は、一言のもとに勘四郎の口を封ずると、庄兵衛に向かって問いかけた。
「庄兵衛、その方の娘とやらが先程、弁当包とか申しおったが、その方、勘四郎に弁当をつかわしたのか。」
「はっ、板垣殿主従が有東木村より出立のみぎり、弁当の竹籠をしつらえ、その中にわさび苗を・・・。」
「竹籠を編み、その中に弁当をつめて、つかわしたと申すのだな。」
「いえ、弁当で御座りませぬ。弁当に見せかけましてわさびの苗を・・・。」
「ひかえよ!たわけ者め。何時の世に弁当代わりにわさびを食する者があろう。庄兵衛、そちは年のせいにてもうろくいたしておるの。 どうじゃ、確かに竹籠入りの弁当を二人につかわしたのであろうな。」
「は、はい。」念を押されて、庄兵衛は思わず頭を下げる。
「さて、勘四郎、その方ら二人、庄兵衛より弁当を受け取りいかがいたした。包み隠さず申してみよ。」
「はい。」
勘四郎は面を上げて忠光の顔を見つめた。いかめしく威儀(いぎ)を正しているが忠光の二つの眼には優しい光が浮かんでいる。 勘四郎ははっと胸を打たれたが、踊る胸を押さえて
「いかにも仰言のとおり、有東木出立(しゅったつ)のみぎり、庄兵衛殿より心尽くしの弁当をいただき、村を はずれた川の瀬あたりに 清らかな山清水が湧くゆえ、その辺りにて昼食にされよと親切な言葉まで・・・。」
「うむ、それで。」
「庄兵衛殿の言葉に従い、山清水の湧くほとりにて心尽くしの弁当を開きましたところ・・・。」
「中にわさびの苗が入っていたと申すのだな。」
「仰言のとおりに御座ります。」
「ふーむ、庄兵衛の手渡せしは確かに昼食の弁当包、それが、勘四郎が開いて見た時にはわさびの苗と変わっておったとは・・・。  さては、その方が一途に伊豆の民を思い、わさびを求むる心根に天も感じ給うて弁当の飯をわさびに変え給うたのであろう。  かく申さば、いかにも不思議の話のようなれど、かかる例は我が国にてはいにしえより少なからず。昔、美濃の国の養老の滝の水が 孝子の一念天に通じて酒となりし伝えもあり、決してないこととは申されぬ。さればこそ、これなるわさび、有東木のものと、 伊豆のものといささか違うも納得がいくと申するもの。これにて忠光の不審も解けた。」
「有東木の庄兵衛は勘四郎に弁当包を手渡せしのみなれば、東照公の掟を破りしお咎めは毛頭ない。また、勘四郎の手に渡りし後、 弁当包の中に生ぜしわさびは天意によるものなれば、もとより咎(とが)むべき筋のものではない。両名とも構いなし。早々国も とへ立ち帰るがよかろう。」
忠光の言葉に一同、思わず頭を下げた。さすが当世第一の出頭人、名奉行の名も高い大岡越前様の御一門だけあって血も涙もある 見事なお裁きと、勘四郎・庄兵衛の二人が胸中ひそかに感涙(かんるい)にむせべば、一方若い与市と茅野の二人は嬉しさをこらえき れず大粒の涙を白洲の砂利に落として、声をしのんですすり泣いている。その四人の上に大岡忠光の明るい声が流れる。
「さてさて、庄兵衛といい、勘四郎といい長年の間、民百姓のために身を粉にしての働き、感服のいたりである。その方どもの名はかし こくも上聞に達し、西の丸の大御所(隠居した徳川吉宗)様よりも、この度のことに関し、特に御言葉があった程であるぞ。かかる奇特 の者どもゆえ、天も加護をたれ給うたのであろう。忠光、近頃嬉しい話と聞いたぞ。これより後も心して民百姓の力となってくれるよう しかと頼んだぞ。 申し遅れたが、勘四郎、伊豆に於けるわさびの栽培、天より苗をさずかりたるものなれば、もとより何の構いなし。 この後も随分と出精致し、有東木村に劣らぬわさびを天城の山に植え育てるよう。一件落着の上は、皆の者立ちませい。」
警ひつの声とともに大岡忠光は奥に姿を消した。夢から覚めたように面を起こし、天を仰いだ勘 四郎ら四人の眼に五月晴れの空が 今更のように青く眼にしみて見えた。
有東木在住わさび農家望月健治氏が著者のご親族の了解を得て別のHP上に掲載したものを、管理人が望月氏の了解を得て再転記さ せていただきました。わさび栽培の歴史を知る上で参考となれば幸いです。

有東木と伊豆山葵
山葵田  '03.6.15
山葵田
「有東木村誌」に「今より260年前頃、有東木の人、望月 三右衛門の先祖が、伊豆の人よりしいたけ栽培法を教わり、 伊豆の人に山葵栽培法を教え、この伊豆の人により天城山麓 地方へ山葵栽培を伝え、伊豆山葵の起源となった。」と書か れています。
野木治郎著「天城の山の物語」の中に伊豆山葵の開拓秘話が 書かれており、村誌の記録に照らして史実性があるので概略 を記してみます。
「有東木の名主庄兵衛家は、当時村外に出してはならないお きてとなっていた駿府禁制の山葵苗を、有東木部落に駿河し いたけの栽培を指導してくれたお礼と、板垣勘四郎と与一の 全生涯をかけての天城の山に山葵を育て伊豆半島の人々の栄 える道を開こうとしている熱意に感心して、『板垣主従、有 東木村出達の折、弁当の竹かごの中に弁当に見せかけわさび 苗を忍ばせた。』後年の寛永初年、奉行所の発見するところ となり、駿府における山葵訴訟裁判となる。当時名奉行の名 の高い大岡越前守の一門忠光の裁判。「弁当がワサビに変わ った。」「伊豆の人々を思い、わさびを求むる心根に天も感 じ、弁当の飯をわさびに変えてしまった。」「美濃の国の養 老の滝の水が孝子の一念が天に通じて、酒になりたるに同じ 。」「有東木の庄兵衛は勘四郎に弁当を渡したもので、東照 光のおきてを破ったものではない。また勘四郎もまた渡りし 弁当包みの中にわさびのあったのは天意によるものなれば、 もとよりおきてを破りし筋のあるものではない。」
この物語も、有東木山葵を伝える伊豆山葵の起源を確証する 資料となるでしょう。
引用:空すめる郷−静岡−大河内

わさび栽培の適地
東ン沢  '05.11.5
沢
なんといってもわさび栽培の要件は水であるといわれています。 その水質は強酸性の湧水、たとえば酸性白土を有する山間の 湧水は不適であるといわれています。なお塩分の多いものは 発育を害し、養水の優劣は無機質肥料成分量の多少によると いわれ、一番必要なものは窒素であるわけです。
養水の適温は摂氏10度から17度で9度以下では発育は抑 制され、18度以上では発病しやすくなります。
さらに、直射日光や外気の影響により水温摂氏20度を超え る心配のある場合は樹木等をもって、日光をさえぎるように します。有東木の沢に行くと山葵田に樹木を植え陰樹として 日光をさえぎるようにしてあり、また黒い布網を張ってある のが見られ、陰樹には主にハンの木を植えています。
適水としては、湧水で四季を通じて水量に増減のないこと。 渓流の引水で摂氏10度から17度を保ち、石が渋色がつき、 飲んで嫌味を感じることがなく、セリ、フキ、イタドリの生 育する水で、山の五合目以下の湧水、これは水量、肥料成分 のある点でよいのです。これらの条件を具備しているのが有 東木周辺の山葵田であり天恵の地というわけです。
有東木の沢は四季を通じてすばらしい。特に夏の日、山路を 歩き、道ばたの山葵田をながめ、その清冽な渓流の水を飲む と一度につかれがいやされます。
引用:空すめる郷−静岡−大河内

わさび成長記録  2008年11月〜2009年11月
植付直後 1ヶ月後
植付直後 2008.11.15 1ヶ月後 2008.12.13
2ヶ月後 3ヶ月後
2ヶ月後 2009.1.12 3ヶ月後 2009.2.14
4ヶ月後 5ヶ月後
4ヶ月後 2009.3.15 5ヶ月後 2009.4.12
6ヶ月後 7ヶ月後
6ヶ月後 2009.5.16  (4/26 寒冷紗) 7ヶ月後 2009.6.13
12ヶ月後 12ヶ月後
12ヶ月後 2009.11.8  (収穫前) 12ヶ月後 2009.11.21  収穫中
収穫風景1 収穫風景2
収穫風景(1) 2009.11.23 収穫風景(2) 2009.11.23
茎付の根 根
【調整作業前】この状態から根の上数センチの所で茎を切り落とす。茎は「切茎(キリグキ)」として売られ、 主にわさび漬けの材料となる。根は髭根を取って右の「根(ネ)」として売られる。髭根を取る作業は根気仕事である。 毛を取った根
根 切茎
根(1篭2kg、数字は本数) 切茎(キリグキ)
箱詰 出荷
2kgずつ箱に詰める 翌朝JA集荷場へ AM 7:12


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