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最終更新日 2001.2.23
長く行われてきた伊勢代参が2001年1月の代参を最後に、以後取り止めることが2001年
2月の町内役員会で決定されました。長い歴史のなかで、数々の思い出と逸話を産んだ伊勢代参でした
が、新しい世紀を迎えた今年を最後に終止符を打つことになりました。生活様式や生き方、価値観が大
きく変化する時代の流れに沿った選択なのかもしれません。(2001.2.23)
先日(平成12年3月)NHK静岡のTV番組が東海道特集の中で
伊勢代参について放送していました。
それによれば、伊勢御師(おんし)と呼ばれた伊勢信仰布教師の活
躍が伊勢代参の元を作ったということです。御師は全国を布教活動に回りました。布教と言え
ば聞こえは良いが、御師の伊勢における仕事は旅館の手配、宴会の世話、夜の歓楽街への案内
等多岐に渡り、それで大儲けし豪邸に住んでいたということです。神様より商売第一であった
ようである。したがって御師とは今で言う旅行会社のツアーコンダクターのような人だったと
いえる。
御師の活躍により伊勢神宮に一生に一度は参拝することが習慣になった。ただし当時伊勢
への往復の旅費は年収に匹敵するほどであった。このため毎年村内でお金を集め、そのお金で村
の代表者が順番で参拝することになった。これが伊勢代参の始まりである。
有東木に今も残る伊勢代参もきっとこれに違いない。
度々引用する「平野・有東木の盆踊り」もこのことに触れている。というのも、
盆踊りの歌詞に伊勢代参にまつわるものが出てくるからである。興味深いので以下に一部をそ
のまま記す。
代参として毎年4人が伊勢に参詣したが、昔は当然ながら全行程徒歩で、途中でやはり信仰
している秋葉さん、津島さんなどに寄り、往復一週間はかかったといわれる。後に汽車も使われる
ようになったが、いずれにしろ旧正月13日に村に帰れるように日程を組んでいた。代参者が旅行
中は村はずれにシメを張っておき、これは無事帰着したら外してドンドロ焼で焼いた。帰着予定日
には留守宅の者がボタ餅をこしらえて、街道から有東木のへの登り口にあたる渡本まで持って行き、
そこで参詣者と出合って一休みして、皆でボタ餅を食べる。そこから村の入口にあたる現在の茶工
場のあるあたりに来てからは、伊勢音頭を歌いながら菓子などを配りつつ氏神社に行って帰村の報
告をする。そして寺に行ってミカン、銭、菓子をまき、総代の家でゾウジと称する宴を開いた。
以上が引用である。もっと興味深い話もあるのだが、割愛する。
さて、現在は8人位が一泊二日の行程で代参し、ゾウジは公民館で2月1日に行われ
る。シメ、ボタ餅などは行われていない。
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